相馬監督就任発表! [Staff]
色々と寂しいニュース、心配なニュースであふれていますが…。
相馬新監督、正式に発表されましたね。
http://www.frontale.co.jp/info/2010/1209_3.html
いつかは川崎の監督をやってくれるだろうと思っていましたが、
こんなに早く実現するとは。
ゼルビアのスタッフ・選手、サポーターのことを思うと、
ちょっと複雑な気持ちもありますが、
町田の社長が「笑顔で送り出す」と言ってくれているのが救いですね。
http://www.zelvia.jp/cgi-bin/info/info.cgi?month=201012&num=1415
TVK「ファイフロ」での「ソーマの星」コーナーでのプレイ分析、
そしてTBS系でのJリーグ解説などで見ていた限り、
眼力と喋りについては期待できるのではないかと。
(試合後の記者会見楽しみです)
あとは精神面やマネジメントでどのくらいの手腕を発揮してくれるかどうか。
JFL3位という好成績を収めたとはいえ、まだまだ30代の青年監督。
一抹の不安はありますが、長い目で見守りたいですね。
==
さて、こんな風に期待ふくらむ相馬フロンターレですが、
やはりこのブログらしく、かつての相馬さんを写真で追っかけてみたいと思います。
僕がJリーグを見始めたのは2003年。
初めて生で相馬さんをみたのはその年の鹿島vs磐田の試合ですね。
懐かしい名前がちらほら。まぁそれにしても凄い試合だ(笑)
確かファーストステージの首位攻防戦だったと思います。
が、当時は200万画素3倍ズームのデジカメ。
ちっちゃくてわからん!
多分右側鹿島最終ラインの一番手前にいるのが相馬さんかと。
2004年より当時J2の川崎に移籍。
当時の川崎の左サイドはアウグスト、友人のサッカー好きが
「相馬が川崎?またアウグストとダブっちゃう!」と言ってたのを思い出します。
なんでも2001年位、相馬さんが怪我をしたときに左サイドの穴埋めとして
加入したのがアウグスト、そのまま定着し、出場機会を無くした相馬さんは
ヴェルディに移籍したということです。(その後、鹿島に復帰)
・・・ってこの写真でもどれだか分かんないや。
右から3人目ですね。。右から宏樹→マルクス→相馬さん→ケンゴかな。
04年はアウグストのいた左サイドではなく、ボランチや最終ラインが多かったという記憶。
その年の山形戦。
J1昇格がかかった試合、逆転負けしてしまいましたが、
先制点は相馬さんの左サイドからのクロスをマルクスが決めたのを覚えています。
「あれが日本代表のクロスか!」と興奮してました(笑)
そして2005年。
最終節前に発表された現役引退。
セレモニーでみんなで寄せ書きした日の丸が印象的でしたね。
その年はリーグ戦後も天皇杯が残っており、
同じタイミングで退団したアウグストはリーグ戦後に帰国していたため、
天皇杯の左サイドは相馬さんがスタメン出場していました。
トーナメント戦で負けた途端にそれが相馬さんのラストゲームになるという按配でした。
12/24には準々決勝で浦和と激突。
※右サイドは怪我のヤスに変わりユースケ、左サイドが相馬さん。
ボランチに憲剛とタニ。涙もんのスタメンですね。
11番と19番はもう忘れましたが(笑)
ちなみにこの試合、僕は所要により行けませんでした。
チケットがあったので奥さんが一人で出掛けましたが、
2枚のチケットと○○屋さんと交換した1枚のチケットがこんないい席!
↓
拡大!
いるいる!23番!!
フロンターレは0-2で敗れ、この試合が相馬さん現役最後の試合でした。
ちなみに前半でイエロー二枚もらって退場したのはユースケ。
相馬さんの高校の後輩。
一緒に戦うところを見たかったなぁ・・・。
06年のユースケのピックアッププレイヤー、懐かしいです。
http://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2006/vol_05.html
引退後も川崎の仕事をしてくれてた相馬さん。
こちらは08年オフのフロンターレ展での「ファイフロ」公開録画から。
美和ちゃんとの星を巡る攻防はなかなか面白かったです。
もう1年、美和ちゃんのファイフロを見ていたかったなぁ。。
S級ライセンスを09年に取得、
2010年シーズンからはJFL町田の監督に。
僕も一度野津田に見に行きました。
スーツ姿の指揮がカッコよかったです。
ジャージの監督が続いた川崎でしたが、さてどうなる?
==
周平、佐原、ユースケ、ユージの特集記事は近日アップします。
ショートムービーかな。。
相馬新監督、正式に発表されましたね。
http://www.frontale.co.jp/info/2010/1209_3.html
いつかは川崎の監督をやってくれるだろうと思っていましたが、
こんなに早く実現するとは。
ゼルビアのスタッフ・選手、サポーターのことを思うと、
ちょっと複雑な気持ちもありますが、
町田の社長が「笑顔で送り出す」と言ってくれているのが救いですね。
http://www.zelvia.jp/cgi-bin/info/info.cgi?month=201012&num=1415
TVK「ファイフロ」での「ソーマの星」コーナーでのプレイ分析、
そしてTBS系でのJリーグ解説などで見ていた限り、
眼力と喋りについては期待できるのではないかと。
(試合後の記者会見楽しみです)
あとは精神面やマネジメントでどのくらいの手腕を発揮してくれるかどうか。
JFL3位という好成績を収めたとはいえ、まだまだ30代の青年監督。
一抹の不安はありますが、長い目で見守りたいですね。
==
さて、こんな風に期待ふくらむ相馬フロンターレですが、
やはりこのブログらしく、かつての相馬さんを写真で追っかけてみたいと思います。
僕がJリーグを見始めたのは2003年。
初めて生で相馬さんをみたのはその年の鹿島vs磐田の試合ですね。
懐かしい名前がちらほら。まぁそれにしても凄い試合だ(笑)
確かファーストステージの首位攻防戦だったと思います。
が、当時は200万画素3倍ズームのデジカメ。
ちっちゃくてわからん!
多分右側鹿島最終ラインの一番手前にいるのが相馬さんかと。
2004年より当時J2の川崎に移籍。
当時の川崎の左サイドはアウグスト、友人のサッカー好きが
「相馬が川崎?またアウグストとダブっちゃう!」と言ってたのを思い出します。
なんでも2001年位、相馬さんが怪我をしたときに左サイドの穴埋めとして
加入したのがアウグスト、そのまま定着し、出場機会を無くした相馬さんは
ヴェルディに移籍したということです。(その後、鹿島に復帰)
・・・ってこの写真でもどれだか分かんないや。
右から3人目ですね。。右から宏樹→マルクス→相馬さん→ケンゴかな。
04年はアウグストのいた左サイドではなく、ボランチや最終ラインが多かったという記憶。
その年の山形戦。
J1昇格がかかった試合、逆転負けしてしまいましたが、
先制点は相馬さんの左サイドからのクロスをマルクスが決めたのを覚えています。
「あれが日本代表のクロスか!」と興奮してました(笑)
そして2005年。
最終節前に発表された現役引退。
セレモニーでみんなで寄せ書きした日の丸が印象的でしたね。
その年はリーグ戦後も天皇杯が残っており、
同じタイミングで退団したアウグストはリーグ戦後に帰国していたため、
天皇杯の左サイドは相馬さんがスタメン出場していました。
トーナメント戦で負けた途端にそれが相馬さんのラストゲームになるという按配でした。
12/24には準々決勝で浦和と激突。
※右サイドは怪我のヤスに変わりユースケ、左サイドが相馬さん。
ボランチに憲剛とタニ。涙もんのスタメンですね。
11番と19番はもう忘れましたが(笑)
ちなみにこの試合、僕は所要により行けませんでした。
チケットがあったので奥さんが一人で出掛けましたが、
2枚のチケットと○○屋さんと交換した1枚のチケットがこんないい席!
↓
拡大!
いるいる!23番!!
フロンターレは0-2で敗れ、この試合が相馬さん現役最後の試合でした。
ちなみに前半でイエロー二枚もらって退場したのはユースケ。
相馬さんの高校の後輩。
一緒に戦うところを見たかったなぁ・・・。
06年のユースケのピックアッププレイヤー、懐かしいです。
http://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2006/vol_05.html
引退後も川崎の仕事をしてくれてた相馬さん。
こちらは08年オフのフロンターレ展での「ファイフロ」公開録画から。
美和ちゃんとの星を巡る攻防はなかなか面白かったです。
もう1年、美和ちゃんのファイフロを見ていたかったなぁ。。
S級ライセンスを09年に取得、
2010年シーズンからはJFL町田の監督に。
僕も一度野津田に見に行きました。
スーツ姿の指揮がカッコよかったです。
ジャージの監督が続いた川崎でしたが、さてどうなる?
==
周平、佐原、ユースケ、ユージの特集記事は近日アップします。
ショートムービーかな。。
ありがとう、関さん [Staff]
月曜日の続投要請を保留・・・という記事を見て、なんとなく予感はしていました。
関さんらしい選択だと思います。
確かに、来年「one more step」を実現するためには、
チーム自体の大きな変革が必要だとは感じていました。
指揮官の交代ということも含めて。
けれども、いざ現実になると悔しくて悲しくて。
試合後のインタビューではどんなときでもサポーターへの感謝を言ってくれた。
試合中見せる厳しい眼差し、そしてファン感やオフ時に見せるあの柔らかな笑顔。
もちろん監督としてフロンターレをJ1屈指の強豪に育ててくれたというのもありますが、
人間としてもとても尊敬できる存在でした。
ありがとう、関さん。
まずはゆっくり休養してください。
そして外からまたサッカーを勉強して、
いつの日かまた一緒に戦える日を楽しみにしています。
このときとはまた違う悲しさがこみあげてきます。
これが最後のショットになってしまいました。
このときトレカにもらったサインは宝物にします。
関さんらしい選択だと思います。
確かに、来年「one more step」を実現するためには、
チーム自体の大きな変革が必要だとは感じていました。
指揮官の交代ということも含めて。
けれども、いざ現実になると悔しくて悲しくて。
試合後のインタビューではどんなときでもサポーターへの感謝を言ってくれた。
試合中見せる厳しい眼差し、そしてファン感やオフ時に見せるあの柔らかな笑顔。
もちろん監督としてフロンターレをJ1屈指の強豪に育ててくれたというのもありますが、
人間としてもとても尊敬できる存在でした。
ありがとう、関さん。
まずはゆっくり休養してください。
そして外からまたサッカーを勉強して、
いつの日かまた一緒に戦える日を楽しみにしています。
このときとはまた違う悲しさがこみあげてきます。
これが最後のショットになってしまいました。
このときトレカにもらったサインは宝物にします。