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稲本潤一 【W杯戦士 -PICKUP PLAYER-】 [Player]

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3大会連続

 カメルーン戦、後半43分。日本代表の最後の交代選手としてピッチに登場したのは稲本だった。残り数分での登場、大きな見せ場はなかったが、本田圭佑の奪った虎の子の1点をしっかり守りきり、日本のアウェイ大会における初勝利に貢献した。

 稲本はこれで日韓大会、ドイツ大会に引き続き、3大会連続出場となり、フランスから3大会連続で出場した中田英寿と小野伸二に次ぐ記録となった。今大会の出場選手としては唯一(GKの川口と楢崎にその可能性がなくはないが)であり、しかも8年前の日韓大会ではベルギー戦とロシア戦で2ゴールを決めている。日本代表ワールドカップの得点王でもある。ともあれ、稲本が日本サッカーに歴史を刻む名選手であるということは、異論の余地はないであろう。

 だが、稲本が今大会の代表に選ばれ、そして出場機会を得るまでには、少なからず紆余曲折があった。アジア予選では出場はホーム・ウズベキスタン戦の途中出場のみ。出場を決定した2009年6月のアウェイ・ウズベキスタン戦には召集されていない。海外クラブで出場機会に恵まれていない時期もあったこともあるが、2度目の出場を果たしたドイツ大会以降は、オシム・岡田時代を通じて日本代表における稲本の存在感はある時期まで極めて希薄だったと言ってもいいだろう。

 そんな中、南アフリカ大会の出場を決めた数ヵ月後の、2009年9月のオランダ遠征。フランスのレンヌに新天地を求めていた稲本に代表召集のレターが届いた。稲本自身「最後のチャンス」と語ったようだが(Number744号)、ここでのガーナ戦で1ゴール1アシストという活躍を見せ、強豪ガーナに対し4対3の逆転勝利を奪う大金星に大きな貢献をしたのである。ここで一気に岡田監督の信頼を得たようで、続く10月のスコットランド戦、11月の南アフリカ戦ではスタメン出場を果たしたのである。日本代表のボランチのスタメンは長谷部・遠藤でほぼ固定されていたが、強豪と相対する本大会に向け、守備的なオプションとして稲本の存在感は本大会に向けグッと増してきていた。

 稲本が川崎に移籍をしてきたのは、そんなタイミングだった。



”あの稲本”

 翻って、2009年の川崎フロンターレを振り返ってみる。リーグ戦・ACL・ナビスコ・天皇杯全てのタイトルを狙いに行き、また、そのどれも掴み取るチャンスがあった1年であった。シーズンを通じて、連敗は2回のみ(5月のマリノス→ACL天津、9月のガンバ→ACL名古屋)。3連敗は一度も無い。豊富なタレントを備えた攻撃陣、4-4-2でブロックを作った強固な守備、劣勢時には4-2-1-3で超攻撃的になる多様性も含め、贔屓目に見てもJリーグではここ数年のベストチームの一つに挙げても良いくらいの好チームだったと言ってもいいだろう。

 ところが、この年も無冠に終わってしまった。ナビスコでは決勝まで進み、リーグでは終盤戦に首位にたっていたこともあったのにも関わらず、である。原因は明らか、サポーターもチームも皆分かっていると思うが「大事な試合で勝てない」。ACLのアウェイ名古屋戦、ナビスコ決勝、リーグ終盤の大分戦、そして天皇杯仙台戦。大事な試合、特にアウェイの試合で勝てない。鹿島やガンバといった強豪には大事な試合に勝てる、ところが下位のチームにアウェイで取りこぼしをする。一介のサポーターが偉そうに言うのもどうかと思うが、どう考えてもメンタルの問題としか思えないのである。

 そして迎えた2010年。高畠新監督の元に初タイトルを目指す1年が始まった。新体制発表会でお披露目されたキャッチフレーズは「プラスアルファ」。サポーターと共に着実にワンステップしてきたクラブが更なる高みを求めて、足りなかった何かを加えていこうという意気込みが伝わるワンフレーズである。

 その新体制発表会の数日後に正式発表された、稲本加入。「プラスアルファ」にふさわしいビッグネームの獲得である。日本代表だけでなく、2001年以来長年欧州リーグで積み上げてきた経験値は、昨シーズンチームに足りなかった何かを必ず加えてくれる。そして稲本本人も川崎の試合をDVDで見て魅力を感じて、他にオファーが来ていたJクラブに断りを入れて川崎を選んでくれた。”あの稲本”が選んでくれた。着実にチーム力を上げてきた川崎をサポーターとして誇りに思ったものだ。

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東アジア選手権・中国戦にて

 ということで、”あの稲本”が”川崎の稲本”になって数ヶ月。我々の濃密なお付き合いはほんのたかだか数ヶ月の数試合のものである。そんな中でも印象深い試合を挙げろと言われれば、間違いなくこの試合だろう。リーグ開幕の新潟戦。中盤でのボール奪取から一気にドリブルで駆け上がり、黒津にラストパスしてゴールをお膳立てしたあのプレーは、”あの稲本”が”川崎の稲本”に変わった瞬間でもあるだろう。

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”あの稲本”が、等々力のピッチに。

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代表で共に戦うことになる矢野と。

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前線へのフィードも流石。



”川崎の稲本”

 それからリーグ戦中断までの数試合。4月末からは怪我で戦列を離れたこともあったが、川崎に間違いなくプラスアルファをもたらしてくれている。チームの守備戦術が構築中ということもあり失点が多いのは気がかりだが、数々の力強い守備プレイは思わず「稲本のアニキ」と呼んでしまうほどだ。競技こそ違うが、プロ野球阪神タイガースに18年ぶりの優勝をもたらした金本のアニキと何かダブってしまう。(もっとも当方巨人ファンであるが(笑))

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川崎のアニキ!

 怪我もあり心配していたが、日本代表23人にはしっかりと選出され、本戦での試合出場も果たした。が、南アフリカの地から伝わってくる稲本情報は数少ない。守備的ボランチの主軸は阿部勇樹であるようだし、川崎サポの話題の中心は川島であり、テセになってしまっているのが実情だ。が、本日のオランダ戦、守備的な戦いが予想される中、出場の機会は必ず訪れると思っている。あのオランダ攻撃陣を欧州で鍛えた強靭な守備で抑え、日本の勝利に貢献してくれることを願っている。

 ともあれ、W杯が終われば、また川崎での戦いが始まる。もしかしたらテセ川島は新しい舞台へと旅立ってしまうかもしれない。が、稲本と僕らの親密なお付き合いはまだまだ始まったばかりである。稲本にとって代表戦士としてのキャリアは今回の南アフリカが集大成かもしれないが、”川崎の稲本”はまだ始まったばかり。今シーズン末、稲本と共に栄冠を勝ち取ったことを喜ぶ情景を夢想しつつ、この6月はしっかりと南アフリカの”あの稲本”、いや”川崎の稲本”に声援を送ろうと思う。

オオオー イナモート アレオー
オオオー イナモト オオオー
オオオー イナモート アレオー
オオオー イナモト オオー

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稲本潤一(いなもとじゅんいち) 1979年9月18日・鹿児島県生まれ
181センチ 75キロ O型 ポジション:MF


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ふろんぱぱ

初めまして。
かねがね拝読しておりました。
「あの稲本が…」という感覚は、私もそうでした。いや、フロンタ-レサポーター全員がそう思ったはずです。蒼(青ではない)黒のユニを着た彼が等々力のピッチを駆ける姿が見られるなんて…嬉しい限りです。

事後承諾で恐縮ですが、拙ブログにリンクを貼らせていただきました。
今後ともよろしくお願い申しあげます。では、失礼いたします。

by ふろんぱぱ (2010-06-19 15:40) 

Mac_BLUEMAGAZINE

>ふろんぱぱさん
お返事大変遅れて申し訳ありません。m(__)m
リンクの件、了解です。ありがとうございます。
こちらからもリンクさせて頂きますね。

デンマーク戦も最後の〆としてイナは投入されました。
そして試合終了後のはしゃぎっぷりはMVPでしょう!(笑)
いい仕事してると思います。
あとは・・・フロサポみんなの願いは憲剛の登場ですね。
パラグアイ戦、期待しましょう。
by Mac_BLUEMAGAZINE (2010-06-26 15:01) 

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